正題名:南方文化の建設へ

正題名:南方文化の建設へ

推薦分享

Share

資源連結

連結到原始資料 (您即將開啟新視窗離開本站)

後設資料

資料識別:
T1006_10_03_039
著作者:
著者:幣原坦
發行者:冨山房
主題與關鍵字:
主題:歷史
主題:日本史
描述:
範圍與內容:高砂國の考察(いつ頃より高砂といひ始めたか、高砂の名はどこから起つて、何といふ意義か)[22-45]臺灣名稱論(臺灣とタイオヴァン族、タイオヴァン族移動の徑路)[46-56]瑯嶠族の想定(瑯嶠族の實在、瑯嶠は琉球)[57-67]琉球‧臺灣混同論爭の批判(琉球臺灣の論爭、支那からの距離、土俗‧人種の記錄について、流求國は沖繩移住民の棲息地、人種の錯綜と地名の動搖、小琉球)[68-93]かたま考(カタマラン、カタマランの語源、我が國上古のカタマ、塗船材料、瓠)[94-114]濱田彌兵衞事件の究査(事件の因由、突發事件の眞相、史料の比較硏究、彌兵衛に對する異議、右異議の批判、彌兵衛事件の結果)[115-156]北臺灣に於ける西‧蘭兩國の角逐(淡水戰か基隆戰か、基隆戰爭の原因、戰爭の序幕、戰爭の開始、戰爭の進行、戰爭の終結)[157-192]老一官に嫁した田川氏(結婚、家系、支那からの迎へ、自害、自害の地の推斷、子の孤忠)[193-216]國姓爺の臺灣攻略(臺灣攻略の決行と何斌、國姓爺出動までの臺灣側の內情、赤嵌開城、國姓爺着臺直後の蘭人側の事情、臺灣城包園、赤嵌開城より臺灣城陷落までの蘭人側の內情)[217-268]國姓爺の呂宋招諭(招諭使としてのリッチ-、呂宋騷擾の始まリ、騷擾の續き、逃亡の支那人、支那人討伐及びリッチ-等の出帆、平和の恢復、及びリッチ-の再渡)[269-298]卑南大王(卑南開祖傳說、卑南大王、女丈夫タ-タ-、卑南社の今日)[299-313]宜蘭民族考(臺灣東岸に於ける原始族上陸と移動、宜蘭の意義、カヴァラン族の上陸地、シナサイ、ケタガラン族, 及びそのカヴァラン族との關係、カレワン族、羅東及び蘇澳の意義, 竝に火燒島傳說の分布、後世に於けるカヴァランの變遷)[314-337]朝日てる國(屈尺蕃、ウライとラハウ、風習の改善)[338-348]金‧硫黃及び石炭の探檢(金と本邦人、蘭人の産金地探檢、トルボアン、蛤仔難內山‧三貂溪‧基隆河床等の砂金、金貿易、硫黃に關する當初の知識、郁永河採硫の動機及び行程、硫黃採取、硫黃谷の踏査、米國人の炭坑探檢、石炭調査に付ペリ-提督の命令、炭坑探檢に付ジョ-ンズ宣敎師の報告)[349-393]琉球藩民虐殺事件と征蕃役及び其の影響(虐殺の眞原因及び事實、征蕃役、征蕃役中の尊むべき話柄、牡丹社の名稱の意義、征蕃役の影響)[394-435]支那時代臺灣に於ける東西の交通路(道路開通以前、六路開通と其の後)[436-445]支那時代の臺灣敎育槪觀(府‧縣‧廳の儒學、書院、義學及び社學、書房、武擧‧土蕃社學‧女子敎育‧新敎育)[446-468]領臺以後の敎育の發達(新敎育の發端と芝山巖、國語學校、國語傳習所附女子敎育、諸般の學校の設置、敎育の整頓)[469-497]。
出版者:
臺灣珍藏史料數位典藏及加值應用計畫
貢獻者:
臺灣珍藏史料數位典藏及加值應用計畫、中央研究院臺灣史研究所
日期:
形成日期:昭和13年11月25日 (1938-11-25)
格式:
重製Jpeg影像:503
來源:
臺灣總督府臺北高等學校圖書館藏書,臺灣史檔案資源系統
http://tais.ith.sinica.edu.tw/sinicafrsFront/
管理權:
後設資料及數位影像均為中央研究院臺灣史研究所所有

授權聯絡窗口

臺史所檔案館閱覽室
電話:(02) 2652-5181
e-mail:twharch@gate.sinica.edu.tw

引用這筆典藏 引用說明

引用資訊
直接連結